ミニマリストの幸福論|人は少し足りないくらいが1番幸せなのではないかという話
2024.06.15
![ミニマリストの幸福論](https://minlife.jp/wp/wp-content/uploads/minimalist-happiness-theory-catch.jpg)
モノやコトが溢れている現代に置いて、本当の幸福とは何かということを考える人が増えてきていると感じています。あまり幸福度とかいう話をすると胡散臭く感じてしまいそうですが、それを真剣に考えること自体の必要性が大切だと思っています。
そして私はモノやコトがありすぎるよりは少し足りないくらいの方が幸福度が上がると思っていて、私なりのミニマリスト式幸福論を考えていこうと思います。
- 便利すぎる時代だからすでに幸福なことに気が付きにくい
- 良いことより悪いことに目が行きがち
- あえて足りなくすることにより豊かになる
1. 便利すぎる時代だから幸福なことに気が付きにくい
まず前提として現代はとても豊かで便利で、とても恵まれている時代だと思います。特に日本は電車は時間通りに来るし夜中でも店がやってるし、命が狙われるようなことも無いとは言わないですが他の国と比べて治安も良いし少ないです。少なくとも明日生き抜くために困ってる人は先進国の場合ほぼいないのでは無いかと思っています。
だからこそ便利で豊かなことの水準が高くなってしまいそれが当たり前になってしまうのです。そうなるとどうなるかというと、もっと良いもの、さらに性能を追求するという思考になってしまいます。その思考も大切だと思いますが、まだまだそちらに寄りすぎなのでは無いかと。
ある意味、安全、便利、快適という面ではゴールに近い状況まできていると思っていて、日本でいうところの”失われた30年”はその結果なのでは無いかと考えています。(最近日本の株価は調子が良いみたいですが。)でももう成長できないくらい成長しきった感があるというか、ここから大きく飛躍するのは個人的には少し想像しにくいです。円安や少子高齢化などは長期的なトレンドになると私は予測しています。
少し話がそれましたがつまり、便利で快適すぎる時代だからこそ周りを見ないで自分にとっての幸福を見つける努力をした方が良いのではないかという話です。ある意味自分にとっての正解を見つけれるのもスキルなのではないかと思っています。
2. 良いことより悪いことに目が行きがち
プロスペクト理論という理論もあるように、人はポジティブな情報よりも、ネガティブな情報に注意を向けやすく、記憶にも残りやすい性質を持っています。つまり良いことよりも悪いことの方に目が行きがちなのです。
そうなると良いところに水準を合わせすぎると悪い出来事が起きた時にそっちの方がインパクトとして強いのです。例えば日本の接客は世界的にレベルが高く、外人の観光客はびっくりするらしいです。ですが我々日本人はそれが当たり前なので特にびっくりすることもありません。むしろ定員が少しミスしたくらいで怒る客もいるくらいです。
水準を高くもつこともとても大切だと思います。しかしその高く設定した水準が逆にネガティブに働くこともあるということも頭に入れておくようにしています。
ということは、”幸福度を最大化させる”という面だけで見ると周りの水準を当たり前だと思わずに、むしろあまり期待しすぎない程度に留めておくと案外うまくいく気がしています。
仕事とかでもそうですが簡単すぎるとつまらない、逆に難しすぎてもしんどい。1番面白いのって少し難しそうだけど頑張ればできそうくらいの仕事だったりもします。それと同じで、あえて自分の期待値や能力を俯瞰してみて自らでコントロールするのも大切だと筆者は考えています。
3. あえて足りなくすることにより豊かになる
やっとミニマリストらしい話になりますが、モノやコトが溢れている現代で“少ないことや足りないこと”の価値が逆に希少になってきていると感じます。いつの時代もそうですがいっぱい在庫があっていつでも買えるものより、あまり在庫がなくて全然買えないものの方が希少なはずです。
ならば逆転の発想になりますが、あえて足りなくすることによって些細なことを幸せだと錯覚させるということも可能だと考えています。どんなお金持ちでも悩み事ってあると思うし、上を見るとキリがないです。もちろん万人にオススメできる考え方ではないと思っていますが、引いて幸福度を上げるタイプも一定数いると思っています。
足りない生活をしてみた結果として、日常のちょっとした出来事に幸福を感じることも増えます。今日は晴れててなんか気持ちが良いとか、たまの外食がめちゃくちゃ美味いとか、ちょっとしたことに感謝でき、幸せになれるはずです。つまり今当たり前だと思っていることを当たり前だと思わないことってとても大切だと思います。
でもこの辺は”他人”や”社会”を変えようとかの話ではなく、“自分”がどう思うかでコントロール可能なので割と実現可能な領域であると思います。忘れていた自分にとって大切なものを見つけるきっかけとしてもミニマリズムという概念は意味があります。
まとめ
幸福感とか達成感って結局自分の基準でそれを上回ったか下回ったかという話なだけであって、本当に大事なのは自分の基準をどこにおくのかということだと思います。そしてそこに気が付けるか、もしくはそこに気が付くきっかけとなる出来事や体験と出会えるかどうかというのは重要だと思っています。
結局、幸福の基準を決めたり何を取捨選択するかを決めるのにも色んな経験や勉強をすることは必須です。たくさん体験して感じて、自分の中で落とし込んで、自分の幸福の基準を決めることができれば、情報過多な現代において豊かに暮らせる足掛かりになると私は信じています。
(筆者)
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